エホバの証人の聖書の知識の「品質」はだいぶ下流である件 #21
どんな物にも「品質」があります。
ワインでも1本数万円もする年代物もあれば、ローソンですぐに変えるようなお手頃のワインもあります。
ブランド品だってそうです。
最高級の牛革で職人によって制作されたブランドもあれば、プラスチックで製造された中国製のパチもんだってあります。
さらに、モノに限らず「情報」にも品質の良し悪しがあります。
例えば、日本政府の内情に関する情報においても、政治家の大物と通じているジャーナリストが発表する情報は品質が非常に高いと言えるでしょう。
一方で、政界の小物としか繋がっていないジャーナリストが発表するような情報はおそらく「情報の品質」という観点から言えばだいぶ劣るのではないかと思います。
では、統治体が発表する聖書に関する情報の品質はどうか?
聖書業界全体から見た場合、統治体が集会で教えている聖書の知識は非常にレベルが低い「下流のもの」だと言えるでしょう。
なぜ、「レベルが低い下流のもの」だと断定できるのでしょうか。
理由はとても単純です。
統治体が参照している情報のリソースは年代的にも歴史的にもだいぶ「下流」のもの、というか本流から採取すらされていないものだからです。
どういう意味でしょうか?具体例で考えてみましょう。
聖書に関して、上流の方にある情報、汚染されてなくて異物も混入されていない情報とはどのようなものかを、まずは確認しておきます。
聖書業界にある情報源としては以下のようなものがあります。品質の高い順に挙げてみましょう。
- 旧約聖書(ヘブライ語聖書):聖書業界のすべての源流です
- 新約聖書(ギリシャ語聖書):キリスト教のすべての源流です
- ユダヤ教のラビたちの著作:イエスも彼らの著作から学んでいました
- 使徒教父たちの著作:初期クリスチャンの監督たちが書いた文書です
- 歴代の大学の専門家や学者たちの著作:聖書の研究に生涯を捧げた専門家たちの著作です
上記に上げた情報源、これらがつまり聖書業界では上流の方に位置している情報源だと言えます。
ランキング上位には、ユダヤ教のラビたちの著作や、使徒教父たちの著作が位置していますね。
これは当然でしょう。
なぜなら、イエスに近い時代に書かれた「聖書の解説書」、あるいはイエスの使徒たちから直接教えを受けた初代監督たちが書いた「聖書の解説書」のほうが統治体が最近になって書いた出版物などより遥かに信頼できるからです。
河川だって同じです。下流の水よりも上流の水のほうが遥かにきれいで汚染されていないものです。これと全く同じ理屈です。
イエスの12使徒たちを直接見た、あるいは彼らから直接教えを聞いた初期キリスト教の監督たちが書いた書物は現代にも残っており、書店でも簡単に購入できます。
例えばイエスの死後、エルサレムの初期クリスチャン会衆の監督はイエスの兄弟のヤコブでしたが、2代目の監督は誰でしょうか?
この様な各地の初期クリスチャン会衆の歴代の監督たちのリストもしっかりと記録され、文書として現代に残っているわけです。
聖書には書かれていない聖書の記録、こういった情報が本当にたくさんの古書として現代にまでしっかりと伝わっており、私達は簡単にそれらを読むことができます。
しかしながら、エホバの証人のトップである統治体たちはこれら上流にある情報源を完全に無視します。
統治体たちはこれら上流にある情報源をほとんど参照せず、成員たちにその存在すら一切教えません(というか彼らも知らないのでしょう笑)。
上流の良質で正当なリソースを参照せず、わざわざ、自分たちの事務所にこもあって聖書の解釈を「あーでもない、こーでもない」とひねり出すわけです。
滑稽な光景ですよね笑。
今更、聖書をあらためて解釈する余地はない
そもそも本来、聖書には解釈の余地というものはありません。
なぜなら、イエスやイエスの弟子たち、そしてイエスの弟子たちの弟子たちが膨大な量の著作を残しており、その中で聖書の解釈といったものはすでに解説され尽くされているからです。
聖書の解釈はすでに初期クリスチャンたちによって解説され尽くされ、さらにそれらは膨大な歴史的テキストとして現代に伝わっていおります。
つまり、現代人がわざわざ聖書の解釈についてあーだこーだ言う余地は残されていないわけです。
(新しいキリスト教分派を作りたい人だけ新しい聖書の解釈を考えればよいでしょう笑)
この事実をよく分かっていない統治体たちは、今日も頑張って「新しい光」が自分たちに当てられる様にとお祈りしているのでしょうね・・。
時代錯誤も甚だしいのではと思います。
聖書に関する「新しい光」が当てられることは1世紀、あるいは2世紀にもうすでに終わっているんですよ・・。
下流の方の汚染された聖書の知識
上記で説明したように、統治体たちは基本的に上流の方の「キレイな水」ではなく、だいぶ下流の方の「汚染された水」を集会で教えています。
あるいは聖書業界とは全く関係ない別のところ(統治体の頭の中など)から水を汲んできて、それを集会で「聖書によると・・」などと教えています。
下流の方の水ですから、それは当然汚染されているでしょうし、異物だってたくさん混入していることが予想されます。
ネットの元JW界隈では「組織のせいで人生が狂った、組織のせいで具合が悪くなった」という声がちらほら見受けられます。
そりゃ汚染された水を組織から無理に飲まされたわけですから、食中毒にかかってしまうのは当然でしょうね・・。
ポイントは、下流の方で統治体たちによって採取される聖書の知識とは、もはや「聖書の知識」とは呼べない別物であるという点です。
この点を取り違えないことが、頭の中のエホバの証人と聖書とのバランスのとれた棲み分けにつながるのではないかと思います。
終わりに
汚染された工業水を河川に垂れ流し、それを飲む方々の生活を台無しにする悪質な会社に対しては断固として戦い続ける必要があるでしょう。
同じように、汚染された聖書の情報を垂れ流し、人々の人生を狂わす組織に対しては引き続きしっかりと問題提起を続ける必要があると思います。