排斥や断絶された時の混乱の正体。長老たちの謎に威張った態度など #3

2018年8月31日。今日も第3回の勉強会を始めていきたいと思います!

今日は排斥や断絶された時に、排斥された方が抱えるであろう気持ちの混乱や困惑の原因について、深く考えてみようと思います。

排斥や断絶された時の混乱の正体

まず1つ目として、自分の頭(と心)に染み付いているJWの価値観が大きな原因になっているでしょう。

やはり大前提として、排斥後に混乱や困惑を抱えてしまう人の背景には「長年エホバの証人として育んできた根強い世界観や価値観」があります。

その根強い価値観の中には主に次のようなものが含まれているはずです。

  • エホバの証人の組織は神の組織だ
  • 不道徳や盗みは神の目から見て悪いことだ
  • 悪人はハルマゲドンで滅ぼされる

エホバの証人2世として小さい頃から上記のような価値観を叩き込まれてきた方は特に、排斥後には多少なりのダメージを受けると思います。

そのダメージの原因は主に、上記に挙げた価値観が根底にあります。

つまり、排斥された方は自分の中に染み付いている価値観によって以下のような思考パターンに陥る危険性があるわけです。

  • エホバの証人は神の組織 → 自分は神の組織から否定された
  • 不道徳や盗みは神から見て悪いことだ → 自分は神からも否定されている
  • 悪人は滅ぼされる → 聖書が本当なら自分は間違いなく滅ぼされる

そもそも、人は誰かから否定されること自体に抵抗があると思います。

たとえ、見知らぬ通りすがりのおじさんから否定されてたとしても、それから多少なりともダメージを受けるのが人間だと思います。

ましてや、長年信じ続けてきた親や友人たちから自分の存在や成したことを完全に否定され(突き放され)たとすれば、やはり大小のダメージを受けてしまうのが人間でしょうね。

排斥や断絶によって傷ついたり困惑してしまうということは、裏を返せばそれだけ組織に期待してきた(あるいは期待している)証拠だと言えるでしょう。

排斥や断絶によってダメージを受けてしまうのも、無理のないことだと思います。

長老たちや審理委員会のおかしな態度

排斥や断絶の時に混乱してしまう大きな原因のもう一つがこれ、つまり「長老たちの人間的な側面」です。

  • 審理委員会のときに流れる冷たい空気
  • いつもと違う長老たちの横暴に見える態度
  • 長老たちのトゲのある発言
  • 何もかもがおかしい雰囲気

普段から冷たくて威張っている長老が、審理委員会になると(なぜか)さらに冷たくなったり、さらに威張り始めたりします。

簡単に言ってしまえば彼らは「調子に乗る」わけですね。これは恐らく、権力を与えられた人間が陥りがちな現象だと思います。

この威圧的な雰囲気に飲み込まれてしまい、上手に受け応えできなくなったり、反発的な態度をとってしまったりします。

その人のそのような様子を見た長老たちは「なにか隠しているじゃないか・・」とか「長老に対する反抗の精神だ!」と断じてしまうわけです。なんとも単純ですね。

つまり、審理委員会に出向いている方の意思や願いとは関係なしに、排斥や断絶の方向へと勝手に物事が転がってしまうわけです。

注目すべき点として上記に上げたことは「本題とは全く関係ない部分」だということです。「本題とは全く関係ない部分」で、排斥かどうかがほぼ決まってしまうわけです。

本来あるべき審理委員会の姿

故意にミスを犯したにせよ、単なる出来心だったにせよ、審理委員会を構成する長老たちは「優しさ」と「ぬくもり」に溢れた対応をすべきでしょう。

なぜなら審理委員会とは本来(組織が定めるところの)ミスをしてしまった方を優しく軌道修正してあげるために構成されるはずだからです。

でもまぁ、審理委員会自体、聖書的な取り決めではないのでなんとも言えませんが。

いずれにせよ、審理委員会には混乱や困惑が沸き起こる可能性が満載だということですね。

さすが、肉の人間がなせる業です。

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