4章. エホバの証人の先へ
本章が、最後の章です。
とても楽しい聖書考察の旅でしたね。最終章へと踏み込む前に、ざっと今までの章で考察したことを復習しておきましょうか。
1章. 聖書の基本
- 聖書はもともとユダヤ教の聖典
- 聖書はもともと3部構成(T-N-K)
- イエスや弟子たちもこの区分を利用した
- イエスや弟子たちはもともとユダヤ教徒
- 「聖書」とは基本的にタナハのこと
- 「新約聖書」とは当時の手紙の厳選集
2章. 聖書の核心
- 現在、神は人類に対する支配権を持っていない
- 神の願いは昔から「祭司の王国」が完成すること
- 将来の「主の審判」では全人類がひとりひとり裁かれる
第3章:エホバの証人の弱点
- エホバの証人最大の弱点は「聖書の核心を外しており、かつ幸せである」こと
- エホバの証人が持つ独特な聖書研究の手法がその弱点に拍車をかけてしまうこと
- 極め付けとして、初代会長がオカルト的な背教者であり反キリストであったこと
エホバの証人の先へ
さて、このブログの最後に、エホバの証人の組織を超えた先に広がっている自由ながらも責任のある世界について考えようと思います。
お気付きの通り、エホバの証人の組織を越えることは単なる始まりに過ぎません。
私はこのブログの冒頭で、あなたがエホバの証人とその組織を超越してしまうことをお約束し、あなたは実際にものの数時間でエホバの証人たちを超越する存在となりました。
おめでとうございます。
そしてエホバの証人を超えた先に広がっている世界、それは自由と責任の世界です。
自由な世界に関して言えば、それは人間的かつ無意味な慣習からの自由が挙げられるでしょう。
聖書のことを誤解している敬虔なクリスチャンも多く、聖書的にはさほど重要ではない慣習を重んじていたり、エホバの証人みたいに明らかな偽りに縛られて生きるキリスト信者も多くいます。
しかし、聖書の核心を知ってしまえば神が我々に求めておられることは非常にシンプルです。
イスラエルよ、あなたの神エホバが求めておられることは、あなたの神エホバを恐れてそのすべての道を歩み、神を愛し、心をつくし魂をつくしてあなたの神エホバに仕えること、わたしが今日命じるエホバのおきてと法令をあなたの益のために守ること、ただそれだけではないか。
申命 10:12,13
労苦し、荷を負っている人よ、わたしのところに来なさい。そうすれば、わたしがあなたをさわやかにしてあげましょう。・・・わたしのくびきは心地よく、わたしの荷は軽いのです。
マタイ 11:28~30
つまり本来、キリスト教 (ユダヤ教) とはシンプルなのです。
数少ない要求事項は有益なものばかりで、それ以外の事柄に関しては全て個人の自由。
これって魅力的じゃないですか?
さて、
責任の世界に関して言えば、それは当然ながら祭司の王国、つまり神の調停委員会の招集に応じるという責任です。
アブラハムの血を引いていること- 調停人として優良な資格を満たしていること
第2章で確認した通り、神の調停委員会は資格を満たす人員をずっと古代から募集中です。
それは古代イスラエル国民たちの大失態のせいで、そして悪魔と堕天使たちの盛大な悪あがきのせいで未だ十分に集まっておりません。
パウロが「神の休みに入るという約束は残されている」とヘブライ人に発言した西暦1世紀から状況は変わらず、21世紀においてもまだ「神の休みに入るという約束は残されて」います。
この祭司の王国こそが、古代イスラエルの時代から現代に至るまで一貫して神が欲しておられる調停機関であり、苦しみと悲しみで溢れる悪魔のこの世界に終止符を打つ人類唯一の突破口なのです。
そしてこの招待は、キリストの復活を信じ、キリストを自分の主人だと認識している世界中のクリスチャン全てに平等に差し伸べられているのです。
もしあなたが、少しでも聖書に対して真摯に取り組もうと考えているとすれば、祭司の王国への招待は間違いなくあなたにも差し伸べられています。
あなたはそれを受けますか?
であれば是非、私のこの話の真偽をもう一度ご自身でリサーチしてみて下さい。
是非、人生の早いタイミングでじっくりと聖書を調べ直してみて下さい。
聖書の世界観を前提とすれば、キリストはご自身の白い馬を駆って地上にやって来ます。キリスト曰く「それが遅れることはない」とのこと。
聖書の世界観を前提とすれば、私たちがキリストの再臨を目撃する瞬間は近いでしょう。
補足①:ちなみに死後なら確実です。すべての人間は主の裁判を受けるために強制的に復活させられることになっているからです。
補足②:確率論と期待値の観点から考えればキリスト教的な生き方を実践することはとても合理的な選択です。なぜならキリスト教の荷は軽く、それに対する対価は永遠だからです。私はパスカルの賭けには賛成です。
主の審判での評価基準
さて、将来のキリストの裁判に真剣に取り組みたいと考える親愛なる読者のために、旧約と新約の中で主の裁判の文脈に伴って記述されている評価基準を、ここに列挙しておきます。
これは同時に、神の調停委員会にて調停人となるための要求資格でもあります。
以下の内容を見るとどうやら、我々はまず善良な人間になることが求められているようですね。
以下に挙げるものは私が旧約と新約の中で発見できたものに限られております。
読者はぜひご自身でその全てを探し出し、将来のキリストの裁判に備えて下さい。
また、あなたの兄弟が貧しくなり、あなたの傍にあって財政的に弱くなる場合、あなたはこれを支えなければならない。
レビ 25:35
立場の低い者に恵みを示している人はエホバに貸しているのであり、その扱いに対して神はこれに報いてくださる。
箴言 19:17
地の人よ、何が善いことかを神はあなたにお告げになった。そして、エホバがあなたに求めておられることは、ただ公正を行い、親切を愛し、慎みをもってあなたの神と共に歩むことではないか。
ミカ 6:8
あなた方は神と富とに奴隷として仕えることはできません。
マタイ 6:24
あなた方に言いますが、人が語る全ての無益なことば、それについて人は裁きの日に言い開きをすることになります。あなたは自分の言葉によって義と宣せられ、また自分の言葉によって有罪とされるのです。
マタイ 12:36,37
人の子は、自分の使いたちを伴って父の栄光のうちに到来することに定まっており、その時、各々その振る舞いに応じて返報するのです。
マタイ 16:27
「師よ、永遠の命を得るために、わたしはどんな善いことを行わなければならないでしょうか」。イエスは彼に言われた、「・・・完全でありたいと思うなら、行って、自分の持ち物を売り、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、天に宝を持つようになるでしょう。
マタイ 19:16~21; マルコ 10:17~21; ルカ 18:18~22
書士たちに気を付けなさい。彼らは長い衣を着て歩き回ることを望み、市の立つ広場でのあいさつと、食堂の正面の座席、そして晩さんでは特に目立つ場所を望みます。
彼らは、やもめたちの家を食い荒らし、見せかけのために長い祈りをする者たちです。こうした者たちはより重い裁きを受けるでしょう。
マルコ 12:38~40
あなた方の敵を愛しつづけ、善を行いつづけ、何かを返してもらうことなど期待せずに利息なしで貸すことを続けて行きなさい。そうすれば、あなた方の報いは大きく、あなた方は至高者の子となるのです。
・・あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も常に憐れみ深くなりなさい。また、裁くのをやめなさい。そうすれば、あなた方が裁かれることは決してないでしょう。
・・いつも放免しなさい。そうすれば、あなた方も放免されるでしょう。
ルカ 6:35~37
自分の持ち物を売って、憐れみの施しをしなさい。自分のために、すり切れることのない財布、決して尽きることのない宝を天に作りなさい。
ルカ 12:33
あなたがごちそうを設けるときには、貧しい人、体の不自由な人、足なえの人、盲目の人などを招きなさい。そうすればあなたは幸いです。彼らはあなたに報いるものが何もないからです。あなたは義人の復活の際に報いを受けるのです。
ルカ 14:13,14
ザアカイは立ち上がって主に言った、「ご覧ください、主よ、わたしは持ち物の半分を貧しい人々に与えていますし、何でも言いがかりをつけて人からゆすり取ったものは、四倍にして元に返しています」
ルカ 19:8-10
きわめて真実にあなた方に言いますが、だれでもわたしの言葉を守り行うなら、その人は決して死を見ることがありません。
ヨハネ 8:51
わたしのおきてを持ってそれを守り行う人、その人はわたしを愛する人です。さらに、わたしを愛する人はわたしの父に愛されます。そしてわたしはその人を愛して、自分をはっきり示します。
ヨハネ 14:21
つまり、イエスは主であるということを公に宣言し、神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら、あなたは救われるのです。
ローマ 10:9
それなのに、あなたはなぜ自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ自分の兄弟を見下げたりするのですか。わたしたちはみな、神の裁きの座の前に立つことになるのです。
ローマ 14:10
あなた方は、不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。
淫行の者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、不自然な目的のために囲われた男、男どうしで寝る者、盗む者、貪欲な者、大酒飲み、ののしる者、ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
コリント一 6:9,10
律法全体は一つのことば、すなわち「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」の中に全うされているからです。
それなのに、もしあなた方がかみ合ったり食い合ったりすることを続けているのであれば、互いによって滅し尽くされてしまうことのないよう気をつけなさい。
ガラテア 5:14,15
さて、肉の業は明らかです。それは、淫行、汚れ、みだらな行い、偶像礼拝、心霊術の行い、敵意、闘争、ねたみ、激発的な怒り、口論、分裂、分派、そねみ、酔酒、浮かれ騒ぎ、およびこれに類する事柄です。
こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが、なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
ガラテア 5:19~21
聖なる民にふさわしく、あなた方の間では、淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。また、恥ずべき行い、愚かな話、卑わいな冗談など、ふさわしくない事柄があってもなりません。
むしろ感謝をささげなさい。あなた方はこのことを知っており、自分でも認めているのです。すなわち、淫行の者、汚れた者、貪欲な者は、これらはつまり偶像礼拝者ですが、キリストの、そして神の王国に何の相続財産もありません。
エフェソス 5:3~5
そして、あなた方兄弟たちの霊と魂と体があらゆる点で健全に保たれ、わたしたちの主イエス・キリストの臨在の際にとがめのないものでありますように。
テサロニケ一 5:23
一方患難を忍ぶあなた方には、主イエスがその強力なみ使いたちを伴い、燃える火のうちに天から表わし示される時、わたしたちと共に安らぎをもって報いることこそ、神にとって義にかなったことであると言えるからです。
その際イエスは、神を知らない者と、わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者に報復するのです。
テサロニケ二 1:7,8
わたしたちの主イエス・キリストの顕現の時まで、汚点のない、またとがめられるところのない仕方でおきてを守り行いなさい。
テモテ一 6:14
今の事物の体制で富んでいる人たちに命じなさい。高慢になることなく、また、不確かな富にではなく、わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる神に希望を託すように。
そして、善を行い、立派な業に富み、惜しみなく施し、進んで分け合い、自分のために将来に対するりっぱな土台を安全に蓄え、こうして真の命をしっかりとらえるようにと。
テモテ一 6:17~19
わたしたちの神また父から見て清く、汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち、孤児ややもめをその患難の時に世話すること、また自分を世から汚点のない状態に保つことです。
ヤコブ 1:27
憐れみを実践しない人は、憐れみを示されることなく自分の裁きを受けるのです。憐れみは裁きに打ち勝って歓喜します。
ヤコブ 2:13
最後に、あなたがたはみな同じ思いを持ち、思いやりを示し合い、兄弟の愛情を抱き、優しい同情心に富み、謙遜な思いを抱きなさい。
危害に危害、ののしりにののしりを返すことなく、かえって祝福を与えなさい。あなた方はそうした道に召されたからです。それはあなた方が祝福を受け継ぐためなのです。
ペテロ一 3:8,9
それゆえ、愛する者たちよ、あなた方はこれらのものを待ち望んでいるのですから、最終的に汚点もきずもない、安らかな者として見いだされるよう力を尽くして励みなさい。
ペテロ二 3:14
しかし、だれであろうと、生活を支えるこの世の資力があるのに、自分の兄弟が窮乏しているのを見ながら、その兄弟に向かって優しい同情の扉を閉じるなら、その人にはどうして神の愛がとどまっているでしょうか。
子供らよ、言葉や舌によらず、行いと真実とをもって愛そうではありませんか。
ヨハネ一 3:17,18
実際、これが神のおきてです。すなわち、わたしたちがそのみ子イエス・キリストの名に信仰を持ち、彼がわたしたちにおきてを与えたとおり、互いに愛し合うことです。
・・そのおきてを守り行うこと、これがすなわち神への愛だからです。
ヨハネ一 3:23, 5:3
しかし、臆病な者、信仰のない者、不遜で嫌悪すべき者、殺人をする者、淫行の者、心霊術を行う者、偶像を礼拝する者、またすべての偽り者については、その分は火と硫黄で燃える湖の中にあるであろう。これは第二の死を表している。
啓示 21:8
私がお伝えしたいことは以上です。
とても短い時間でしたね。
しかし、ここまで読み進めて来られたあなたは間違いなく世界中にいる800万以上のエホバの証人たちの誰よりも聖書に詳しい状態、彼らを超越した存在になっていると思います。
ですからどうぞ、
エホバの証人のその先の世界へ、大きな自由と責任が広がる次の次元へとお進み下さい。
最後の結論
では最後に、私なりに本ブログの結論をまとめておきましょうか。
最後の結論、それは、
自分の時間、能力、財産をもっぱら貧しい人たちのため、社会的に恵まれない人たちを助けるために使うこと。
そのようにしてキリストの再臨、あるいは自分の死を待ち続けること。
聖書の世界観を前提とすれば、これが人間のなし得る 最善の生き方 です。
すべてのことが聞かれたいま、事の結論はこうである。まことの神を恐れ、そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである。
まことの神はあらゆる業をすべての隠された事柄に関連して、それが善いか悪いかを裁かれるからである。
伝道 12:13,14
「しかり、わたしは速やかに来る」。アーメン!主イエスよ、来てください。
主イエス・キリストの過分のご親切が聖なる者たちと共にありますように。
啓示 22:20,21
自室にて
yoo
執筆:2014/06/10
改訂:2024/02/20
*何かあれば私が管理するXアカウント『宗教2世問題まとめ』まで。