エホバの証人の「世代」についての混乱をアッサリ解決するとこうなる
まずは、イエスが発言した「世代」の意味について考えます。早速、問題となっているイエスの発言を確認しましょう。
あなた方に真実に言いますが、これらのすべての事が起こるまで、この世代は決して過ぎ去りません。
マタイ 24:34
問題となるのは「この世代」という表現ですが、「この世代」とは一体誰のことでしょうか。
実は、答えを私たち自身で推測する必要はありません。
なぜなら、イエス・キリストはご自身の宣教中に「この世代」という表現を何回か使っているからです。上記の話の直前でも使っています。
ゆえに、イエスが誰に対して「この世代」という表現を使っていたか、単純にそれがそのまま答えになります。
では、マタイ書の記述の中に見られるイエス・キリストの「この世代」に関する発言を確認してみましょう。まずは、マタイ12章に見られる発言です。
その時、書士とパリサイ人の幾人かが彼に対する答えとしてこう言った。「師よ、私たちはあなたからのしるしを見たいのですが」。
イエスは答えて彼らに言われた、「邪悪な姦淫の世代はしきりにしるしを求めますが、預言者ヨナのしるし以外には何のしるしも与えられないでしょう。ヨナが巨大な魚の腹の中に三日三晩いたように、人の子もまた地の心に三日三晩いるのです。
ニネベの人々は裁きの際にこの世代と共に立ち上がり、この世代を罪に定めるでしょう。彼らはヨナの宣べ伝えることを聞いて悔い改めたからですが、見よ、ヨナ以上のものがここにいるのです。
南の女王は裁きの際にこの世代と共によみがえらされ、この世代を罪に定めるでしょう。彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからですが、見よ、ソロモン以上のものがここにいるのです。
マタイ 12:39~42
この部分でイエスは、書士とパリサイ人たちに代表される「邪悪な姦淫の世代」つまり、不従順な古代イスラエルに対して「この世代」という表現を使っていることが分かります。
書士とパリサイ人たちに代表される不従順な古代イスラエルがイエスをメシアとして受け入れなかったこと、それゆえにイエスは彼らを叱責され「邪悪な姦淫の世代」とか「この世代を罪に定める」と発言しています。
ちなみに、この聖句の中にはエホバの証人たちにとっては理解不能であろう(しかし「世代」発言を理解する上ではとても大切な)表現が2つほど出てきています。それは以下の2つです。
- ニネベの人々は裁きの際にこの世代と共に立ち上がり、この世代を罪に定める
- 南の女王は裁きの際にこの世代と共によみがえらされ、この世代を罪に定める
これらは一体どのような意味なのでしょうか。1つずつ置き換えて考えてみましょう。
まず「この世代」というのは、書士やパリサイ人たちに代表される不従順な古代イスラエルのことでした。これは先ほど確認した通りです。
次に「立ち上がり」や「よみがえらされ」という表現ですが、これは「復活」のことを意味しています。この点も、ほとんどのエホバの証人にとって難なく受け入れられることだと思います。
では、確認済みの表現に置き換えてみましょう。
- ニネベの人々は裁きの際に不従順な古代イスラエルと一緒に復活し、不従順な古代イスラエルを罪に定める
- 南の女王は裁きの際に不従順な古代イスラエルと一緒に復活し、不従順な古代イスラエルを罪に定める
エホバの証人たちからすれば、これらの表現を理解することは非常に難しいことだと思います。おそらく不可能でしょう。
なぜなら、ヨナが宣教したあのニネベの人たちと不従順な古代イスラエルが一緒に復活するなどといった考え方には全く馴染みがないからです。組織はそんなこと一言も言っていません。
さらに、ソロモンの知恵を聞きにやって来たあの女王が不従順な古代イスラエルと一緒に復活するといった考え方にも全く馴染みがありません。組織はそんなこと一言も言ってないのです。
組織が言っていないにせよ、イエス・キリストは次のように言っています。
あなた方に言いますが、人が語るすべての無益な言葉、それについて人は裁きの日に言い開きをすることになります。
マタイ 12:36
またその時、人の子のしるしが天に現れます。そしてその時、地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき、彼らは、人の子が力と大いなる栄光を伴い、天の雲に乗ってくるのを見るでしょう。
マタイ 24:30
さらに、組織が言っていないにせよ、ペテロやパウロは次のように言っています。
またこの方(イエス・キリスト)は、民に宣べ伝えるように、そして、これが生きている者と死んでいる者との審判者として神に定められた者であることを徹底的に証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。
使徒 10:42
わたしたちはみな、神の裁きの座の前に立つことになるのです。・・わたしたちは各々、神に対して自分の言い開きをすることになるのです。
ローマ 14:10~12
わたしたちは皆キリストの裁きの座の前で明らかにされなければならないからです。こうして各人は、それが良いものであれ、いとうべきものであれ、自分が行ってきたことにしたがい、その体で行った事柄に対する自分の報いを得るのです。
コリント二 5:10
わたしは、神のみ前、また生きている者と死んだ者とを裁くように定められているキリスト・イエスのみ前にあって、またその顕現と王国とによって、あなたに厳粛に言い渡します。
テモテ二 4:1
これらの聖句を踏まえると、イエス・キリストは人類すべてを復活させ人類すべてを裁判にかける、ということになります。そのために「天の雲に乗ってくる」わけです。
この観点から言えば、キリストの裁判のときにはニネベの人たちも南の女王も不従順な古代イスラエル国民も、人類みな共に復活し、人類みな共にキリストの裁判を受けることになります。もちろん、私たちもです。
キリストの裁判のとき、不従順な古代イスラエルはニネベの人たちよりも不利な裁きを受けることが予想されます。なぜなら、ニネベの人たちは預言者ヨナを受け入れましたが、古代イスラエルはキリスト本人を拒否したからです。
キリストの裁判のとき、不従順な古代イスラエルは南の女王よりも不利な裁きを受けることが予想されます。なぜなら、南の女王はイスラエルの王ソロモンを受け入れましたが、古代イスラエルはキリスト本人を拒否したからです。
キリストの裁判のときにはニネベの人たちも南の女王も不従順な古代イスラエル国民も、人類みな共に復活し、人類みな共に裁かれる。イエス・キリストはこのように教えているのです。
では、話を「世代」に戻しましょう。
マタイ12章では、イエスは不従順な古代イスラエルに対して「この世代」という表現を使っていたことが確認できました。さらに、イエスが「この世代」という表現を使っている箇所がもう一つあります。マタイ23章です。
偽善者なる書士とパリサイ人たち、あなた方は災いです! あなた方は預言者たちの墓を建て、義人たちの記念の墓を飾り付けて、こう言うからです。「我々が父祖たちの日にいたなら、彼らと共に預言者たちの血にあずかる者とはならなかっただろう」と。
・・こうして、義なるアベルの血から、あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した、バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで、地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。
あなた方に真実に言いますが、これらのこと全てはこの世代に臨むでしょう。「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ・・
マタイ 23:29~37
イエスが「この世代」という表現を使っているのは誰に対してでしょうか。
この度も、書士とパリサイ人たちに代表される「あなた方」、つまり不従順な古代イスラエルに対してであることが分かります。イエスがこの直後に「エルサレム、エルサレム」と呼びかけていることからも、この点は明らかでしょう。
こうして、この発言の流れの中で、エホバの証人の間で問題となっている例の「世代」発言が続くわけです。弟子たちと一緒にオリーブ山から神殿を眺めている時にイエスは例の「世代」発言をしています。
ちなみに、イエスの「世代」発言を正しく理解する上でのポイントが2つあります。
1つ目のポイントは絶対に聖句をつまみ食いしないことです。エホバの証人は聖句のつまみ食いが大好きですが、聖書を正しく理解したい場合これは禁忌です。
弟子たちに対するイエスのこの「世代」発言はマタイ24:1から26:1までの2章にもわたる長い話の中のごくごく一部に過ぎません。ゆえに、イエスの話の全体を把握しておくことが大切です。
2つ目のポイントとして、「イエスの答えには二重の意味がある」などといった面倒な考え方もこの際捨ててしまいましょう。
聖書に記録されている預言の中に「二重の意味を持った預言」などは1つもありませんでした。なのになぜ、あえてここでキリストの預言だけを二重に解釈する必要があるのでしょうか。
さらに、イエス・キリストはあくまでも「古代イスラエル国民」に対して遣わされていたこと、そしてイエスご自身もあくまでこの立場にこだわっていたことを忘れてはいけません。
イエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊の他には誰のところにも遣わされませんでした」
マタイ 15:22~28
ゆえに今回は、あくまでもイエスは古代イスラエルを念頭において話をしておられた、という立場を取ってみましょう。
さて、2章にもわたるイエス・キリストの長い話は、以下のような弟子たちの質問がきっかけとなって始まります。
わたしたちにお話しください。そのようなこと(神殿が崩壊すること)はいつあるのでしょうか。そして、あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか
マタイ 24:3
- エルサレム神殿の崩壊という大惨事はいつ起こるのか
- キリストの臨在と事物の体制の終結では何が起こるのか
弟子たちの質問内容が上記の2点なので、当然ながらイエス・キリストの回答も2つのセクションに分かれています。
エルサレム神殿の崩壊はいつ?
まずは「エルサレム神殿の崩壊という大惨事はいつ起こるか」という質問に対してのイエスの答えですが、この部分はマタイ24章4節から22節までがその答えとなっています。
- 偽キリストが出現する(5)
- 戦争の知らせを聞く(6)
- 国民は国民に敵対して立ち上がる(7)
- 食糧不足や地震がある(7)
- クリスチャンは憎しみの的となる(9)
- 偽預言者が起こる(11)
- 不法が増して人々の愛が冷える(12)
- 王国の良いたよりが全地で宣べ伝えられる(14)
- エルサレムが軍隊に囲まれる(ルカ 21:20)
- 嫌悪すべきものが聖なる場所に立つ(15)
- ユダヤにいる者は山に逃げるべき(16)
- 乳児の母親にとっては災いの時(19)
- それが安息日にならないように祈る(20)
- 二度と起きないような大患難がある(21)
4節から14節までの記述は「事物の体制の終結のしるしは?」に対しての回答と考えても良いと思いますが、今回はあえて話の構成をシンプルにしてみようと思います。
ですから今回は、4節から14節までの回答もあくまで「エルサレム神殿の崩壊はいつ?」に対する回答だったという立場を取ってみましょう。
さて、エルサレム神殿の崩壊は実際に西暦70年8月30日に起きています。これは西暦66年から70年にかけて勃発した対ローマ帝国ユダヤ戦争の最終局面での出来事です。
当時のユダヤ戦争にユダヤの指揮官として参加していたフラウィウス・ヨセフス(37~100年頃)は当時の様子を実際に目撃し、当時の惨状を『ユダヤ戦記』にて詳しく記録しています。
当時を生きたヨセフスやパウロの証言と上記に挙げたイエスの発言を照らし合わせながら考えていきましょう。
偽キリストの出現
パウロの第3回目の宣教旅行の頃(後52~56年)には、パウロが心配するほどに偽キリストの問題は深刻化していたようです。
実際、パウロはテサロニケにあった会衆に宛てて「確かに、この不法の秘事はすでに作用しています」と言っていますし(テサロニケ二 2:7)、エフェソスの監督たちに対しても「あなた方自身の中からも」背教者が起こると言っています(使徒 20:30)。
以上より、エルサレム神殿が崩壊する西暦70年までには偽キリストが起こっており、既に「多くの者を」惑わしていたと言えるでしょう。
戦争の知らせを聞く
ユダヤ戦争の勃発にあたり、ローマ帝国軍の指揮をしていたウィスパシアヌス(後にローマ皇帝となる)はエルサレム北方に位置するガリラヤ地方の諸都市の攻略から取り掛かっています。
具体的な都市名を挙げると、ローマの軍隊はガバラ、ヨタパタ、ティベリアス、タリカイアイ、ガマラ、ギスカラといったガリラヤ諸都市と戦闘を繰り広げ、それらの都市を次々に攻略しています。
つまり、エルサレム神殿の崩壊に先駆けてエルサレムの人々は方々で勃発している戦争の知らせを聞くことになりました。
国民は国民に敵対して立ち上がる
西暦66年、ユダヤ人たちは明らかにローマ帝国に「敵対して立ち上が」りました。ユダヤ人たちはそれまでに決してしなかったような以下のような敵対的行動をとったのです。
- 神殿でのローマ帝国のための犠牲の中止(この慣習は100年以上続いていた)
- ローマ帝国への貢納(いわゆる人頭税など)の中止
- 総督官邸、大祭司官邸、宮殿などへの放火
こうした敵対的行動をもってユダヤ人たちはローマ帝国に宣戦布告をしました。そしてこの決断こそが、後に続く「苦しみの激痛の始まり」となったと言えるでしょう。
歴史家ヨセフスもこのユダヤ戦争に関して『ユダヤ戦記』の書き出しで次のように書いています。
わたしたちの時代においてばかりか、わたしたちが耳にしたかぎり、都市が都市にたいして、あるいは民族が民族に対して戦った戦争の中でも最大規模のものであった
ユダヤ戦記1 p19
食糧不足や地震がある
ヨセフスはエルサレム内の食料不足がいかに深刻で悲惨なものだったかを記録していますが、ここでは紙幅の都合上そのごく一部だけを引用しておきます。
妻は夫から、子どもは父親から食べ物を奪い取った。最も悲惨だったのは、母親が自分の幼子の口から食べ物を奪い取る光景だった。彼女たちは最愛の子が自分の腕の中で息を引き取ろうとしているときでも、その生命に必要な最後の一片の食べ物を奪うことをためらわなかった。・・実際、反徒たちは一片の食べ物を握りしめている幼子を抱き上げると、地面にたたきつけたりもした。
ユダヤ戦記2 p361
地震に関してですが、この箇所で利用されているギリシャ語「σεισμοὶ」はそもそも自然災害としての「地震」に限定される単語ではありません。「振動」の他にも「動乱」「動揺」や「どよめき」といった意味があることにも注目しましょう。
クリスチャンは憎しみの的となる
1世紀のクリスチャンがあらゆる国民の憎しみの的となり、あらゆる迫害に耐え忍ぶ必要があったことは歴史的にも有名です。その迫害は残虐さを極めたものでした。
西暦33年のキリストの死後からエルサレム神殿崩壊の70年までの40年弱の間、クリスチャンたちはユダヤ人たち、ローマ人たち、離散先の土地の人間たちから激しい迫害を受けました。
迫害の主な理由は、ユダヤ教の伝統から離脱したこと、当時は非常に一般的だった神々への崇拝(カエサル崇拝も含む)を断固として拒否していたことが挙げられます。カエサル崇拝の拒否は死罪に値しました。
偽預言者が起こる
ユダヤ戦争の前、そしてユダヤ戦争の期間中に実に多くの偽預言者が発生しました。ヨセフスも次のように記録しています。
ぺてん師やいかさま師どもが、神の霊感を受けたと称して大きな変革を作り出そうとして、人びとを説き伏せ、ダイモンに憑かれたかのようにさせて、荒れ野の中に導き出した。神がそこで彼らに開放のしるしを示してくれる、というのである。
ユダヤ戦記1 p314
エジプト人の偽預言者は、これよりも大きな一撃でユダヤ人たちに悪事を働いた。このいかさま師はユダヤの土地に現れると、自分を預言者だと信じ込ませ、騙された約三万もの者たちを集めると、彼らを荒れ野からオリーブ山と呼ばれるところまで引きまわし、そこからエルサレムへ押し入る構えを見せた。
ユダヤ戦記1 p314
後年になって、ヨセフスはユダヤ戦争を振り返り次のようにも書いています。
ユダヤ人たちの滅びの原因であるが、それは彼らがひとりの偽預言者にたぶらかされたためだった。その日偽預言者は、都の中にいる者たちに向かって、神はユダヤ人たちが神殿に登り、救いのしるしを受けるように命令されたと告げた。実際そのころ、多くの偽預言者が暴君たちによって雇われていた。この偽預言者たちは神の助けがあるからそれを待つようにと告げて市民をたぶらかしていた。
ユダヤ戦記3 p69
不法が増して人々の愛が冷える
ローマ軍に包囲されたエルサレムはまさに無法地帯でした。エルサレム内の暴徒たちがあらゆる不法をやってのけたので、市民たちはローマ軍が一刻も早く自分たちを攻略してくれることを切に待ち望むほどでした。
今や都の至る所が陰謀を企む者やならず者たちの戦場と化し、市民は、その間にあって引き裂かれ、市民たちの屍が山となった。年老いた者や女たちは、絶望のあまりローマ軍が一刻も早くやって来てくれるようにと祈り、外からやって来る者たちとの戦争で、内なる者たちの手による災禍から自由にされるのを切望した。
ユダヤ戦記2 p270
王国の良いたよりが全地で宣べ伝えられる
キリストの死後、ユダヤでの迫害が激しかったことも相まってクリスチャンたちは方々の国々へと離散していきました。「全地で宣べ伝えるように」というキリストの指示も彼らの背中を押したはずです。
注意すべき点ですが、ここでキリストが言っている「全地」という言葉を、現代の私たちの感覚で考えないようにすることは大切でしょう。
というのは、1世紀当時の世界人口は学者によってある程度のばらつきはあるものの、それは2億から3億程度とされているからです。
ゆえに、エルサレム神殿が崩壊するその時までに王国の良いたよりは私たちが考える以上に全地で宣べ伝えられていたと考えられます。パウロも西暦60年頃にコロサイ人たちの会衆に宛てて次のように書いています。
その良いたよりは天下の全創造物の中で宣べ伝えられたのです。私パウロは、この良いたよりの奉仕者となりました。
コロサイ 1:23
エルサレムが軍隊に囲まれる
この記述はマタイ書に記録されているイエスの発言ではなくルカ書に記録されているものですが、特筆すべき興味深い出来事だと思ったので挙げておきます。
ウィスパシアヌスの軍隊がガリラヤ攻略を始める半年ほど前の西暦66年11月25日、シリア総督のケスティオス・ガロスはエルサレムを軍隊で包囲していたにもかかわらず、不可解な撤退をしています。
この点は、ヨセフスも次のように記録しています。
とにかく、ケスティオスは、包囲された者たちの絶望感にも民衆の思いにも気づかず、突如兵士たちを呼び集めると、大きな一撃を受けたわけでもないのに(占領の)望みを捨て、まったく不可解にも、都から引き揚げて行った。
ユダヤ戦記1 p384
ケスティオスのエルサレム包囲の解除によってエルサレムの中にいたクリスチャンたちは確かに外へ脱出する機会を得ることができました。イエスの預言が確かに成就したと言えるでしょう。
しかし厳密に言えば、神殿が崩壊する直前のティトスによるエルサレム包囲の際にも、エルサレム内にいた人々は都から脱出することができました。
しかしこの時の脱出は非常に困難なものでした。というのは、ローマ軍に内部情報が漏れることを恐れた防衛側が投降しようとした市民たちを容赦なく殺していたからです。
嫌悪すべきものが聖なる場所に立つ
イエスのこの預言はエルサレム神殿が存在してた西暦66年にしか成就しえないものでしょう。1914年に当てはめようとするなら、かなりの無理が出てきます。
なぜならその時には「荒廃をもたらす嫌悪すべきものが、預言者ダニエルを通して語られたとおり、聖なる場所に立っているのを見かける」必要があったからです。
ちなみに、エホバの証人たちはこの「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」をローマ軍のことと見なし、聖都エルサレムの包囲をもって「聖なる場所に立った」と考えています。
しかし、ヨセフスはこの点に関してエホバの証人よりも踏み込んだ解説をしているのでその部分を引用しておきましょう。
ヨセフスはエルサレム包囲の際、実際に神殿の聖所に足を踏み入れた集団がいたことを記録しています。
市民はすっかり意気消沈し、恐怖におののいたが、野盗たちの狂気はとどまるところを知らず、ついには自分たちの手で大祭司を選出するまでに至った。・・そして人間たちへの不正な行為に食傷すると、次には神的なものに傲岸不遜な振る舞いを振り向け、ついにはその汚れた足で聖所へ侵入するに至ったのである。・・野盗たちは神の聖堂を自分たちの要塞とし、市民の騒擾が起こればそこへ逃げ込めるようにした。そこは彼らにとって暴君として支配するための聖所だった。
神殿は今や彼らの作戦基地、避難所、われわれに向けられる武器の倉庫となり下がった。世界の人びとによって跪拝され、またその評判を聞いた地の果ての異民族たちによっても敬意を払われてきたこの場所は、他ならぬこの場所で生まれ育った獣のような者たちによって踏みにじられている。
(彼らは)祖国にたいしてなされた預言を成就させた。というのも、もし抗争があり、土地の者たちの手が神の神域を最初に汚すならば、その時には都は陥落し、聖所は戦いの掟により焼け落ちるとする、神の霊感を受けた者たちのいにしえの託宣があったからである。
ユダヤ戦記2 p156,p183,p205
ヨセフスが(恐らくダニエル書に言及し)ここまで踏み込んだ記述をしているのは注目に値するでしょう。エルサレムの市民たちは確かに「荒廃をもたらす嫌悪すべきものが聖なる場所に立っている」のを見ることができました。
ちなみに、暴徒の集団が神殿を制圧したこの時以降から徐々に市民たちへの監視の目は厳しくなり、エルサレムからの脱出が極端に難しくなっていきます。
ユダヤにいる者は山に逃げるべき
この記述も1914年に当てはめることは不可能でしょう。
乳児の母親にとっては災いの時
これは「食糧不足」の項目で確認した通りですが、エルサレム内の食糧不足は恐ろしいほどに深刻だったため母親は自分の子供を食べるほどでした。
マリアという女性に関するヨセフスの記述を引用しておきます。
実際、今やどこへ行っても食べ物を見つけることなどはできなかった。他方、飢えは五臓六腑を突き抜けて骨の髄にまで達し、苛立ちが飢え以上に燃え上がった。ついにマリアは怒りと空腹のため非道なことをやってのけるにいたった。・・マリアはひと思いにわが子を殺した。次にその死体をローストすると、その半分を夢中になって食べ、残り半分を隠し持った。
ユダヤ戦記3 p50
それが安息日にならないように祈る
この記述も1914年に当てはめることは不可能でしょう。
二度と起きないような大患難がある
以上より、ユダヤ人たちにとって国家の滅亡ならびにエルサレム神殿の崩壊に先駆けて勃発したユダヤ戦争こそが先にも後にもない「大患難」だったと言えるでしょう。
確かに、規模で比べてしまえば1914年に起きた第一次世界大戦の方がより「大患難」だったと言えるかもしれませんが、聖書的に言えば、イスラエル国家の滅亡と神殿の崩壊の方が第一次世界大戦とは比べ物にならないほど遥かに「大患難」です。
ゆえに、マタイ24章4節から22節までの記述はあくまで「エルサレム神殿の崩壊はいつか?」という弟子たちへの返答だっと考えるのが妥当です。
エルサレムから避難していた当時のクリスチャンたちは次々に実現していくイエスの預言を思い起こしては、背筋を凍らせていたに違いありません。
イエスの預言を無理にでも1914年に当てはめようとするのは個人の自由ですが、神の民であった古代イスラエルが西暦70年のユダヤ戦争においてまさに大患難を経験していたことだけは覚えておきましょう。
キリストの臨在と事物の体制の終結では何が起こる?
次に「キリストの臨在と事物の体制の終結では何が起こるのか」という質問に対してのイエスの答えですが、この部分は続くマタイ24章23節から31節までがその答えとなっています。
- 偽キリストや偽預言者が起こる(24)
- 人の子の臨在が稲妻のように起こる(27)
- 人々は人の子が天の雲に乗って来るのを見る(30)
- み使いたちが選ばれたものたちを集める(31)
神殿崩壊のように「いつ起こるのか?」という質問とは対照的に、この場合は「何が起こるのか?」に対する答えなのでわざわざ解説する必要はないでしょう。イエスの発言そのままです。
そして32節以降では、キリストの臨在について「あなた方はそれがいつ来るかを知らないのだから、ずっと見張っているように」という警告が7つの例え話によって繰り返されることになります。リストアップしておきましょう。
ちなみに、「忠実で思慮深い奴隷」の話も「見張っているべき」ことを強調するための7つの例え話のうちの1つに過ぎません。確認して下さい。
- いちじくの木の例え(32~35)
- ノアの日の例え(36~39)
- 二人の男と女の例え(40~42)
- 盗人の例え(43,44)
- 忠実で思慮深い奴隷の例え(45~51)
- 五人の思慮深い処女の例え(25:1~13)
- 外国へ旅行に出た主人の例え(14~30)
そして25章31節からは、キリストの臨在の後に起こるキリストの裁判の様子について詳しく説明がなされています。
これが「事物の体制の終結には何が起こるのか?」という弟子たちの質問に対する返答の終局部分となります。
人の子がその栄光のうちに到来し、またすべてのみ使いが彼と共に到来すると、そのとき彼は自分の栄光の座に座ります。そして、すべての国の民が彼の前に集められ、彼は、羊飼いが羊をやぎから分けるように、人をひとりひとり分けます。
マタイ 25:31
裁判の様子についての詳しい説明が26章1節に至るまで続いたのち、イエスは弟子たちに対する返答を終えられます。
さて、これらすべてを語り終えてから、イエスは弟子たちにこう言われた。「あなた方の知っているとおり、今から二日後には過ぎ越しが行われます。・・
マタイ 26:1,2
イエスの「この世代」発言について
そろそろ、イエスの「この世代」発言について踏み込みましょう。
この記事の冒頭で確認した通り、マタイ12章と23章においてイエスが「この世代」という言葉を使っているとき、それは一貫して書士とパリサイ人たちに代表される不従順な古代イスラエルを指していました。
そうであれば、問題となっている24章においてイエスが使っている「この世代」という言葉も、同じように不従順な古代イスラエルを指していると考えることが自然ではないでしょうか。
あなた方に真実に言いますが、これらのすべての事が起こるまで、この世代は決して過ぎ去りません。
マタイ 24:34
ここで言われている「この世代」を理解するにあたり、最後に考えるべきは「これらのすべての事」とはいったい何かですが、このことは既に確認済みです。
復習も兼ねて振り返っておきましょう。
- 弟子たちからの2つの質問
【マタイ24:1~3】 - エルサレム神殿の崩壊についての説明
【マタイ24:4~22】 - キリストの臨在についての説明
【マタイ24:23~31】 - 「これらのすべての事が起こるまで、この世代は決して過ぎ去りません」
【マタイ24:32~35】 - 見張っているべきことの6つの例え
【マタイ24:36~25:30】 - キリストの裁判についての説明
【マタイ25:31~46】
以上より「これらのすべての事」とは「エルサレム神殿の崩壊」と「キリストの臨在」である事が分かります。表現を置き換えると次のようになります。
エルサレム神殿の崩壊とキリストの臨在が起こるまで、古代イスラエルは決して過ぎ去りません。
どういう意味でしょうか。読んで字のごとくです。
このことは記事の冒頭で確認済みの、ニネベの人々や南の女王が古代イスラエルと共に復活して裁かれる、という記述とも合致しています。
ニネベの人々は裁きの際にこの世代と共に立ち上がり、この世代を罪に定めるでしょう。・・南の女王は裁きの際にこの世代と共によみがえらされ、この世代を罪に定めるでしょう。
マタイ 12:41,42
この世代は過ぎ去らない=この世代は立ち上がる=この世代はよみがえる、です。
まとめると、「神殿は崩壊するけれども、古代イスラエルはキリストの臨在が起こるまで決して過ぎ去らない、つまりキリストの臨在の際には復活して裁かれる」。イエスが言わんとしていたことは大方以上のようになるかと思います。
この発言は、神殿の崩壊を心配していた、ひいてはイスラエル民族の行く末を心配していた弟子たちに対する非常に的を得た回答になっていたと言えるでしょう。